自分に対する傾向・対策、ちょっと考え変えてみよう/033
今、わたしはものすごく仕事に意欲があるターンだ。
朝から夕方まで集中してキーボードをガタガタと叩いている。けれど、これは平時のことではないのが自分がよくわかっている。
よく「やる気」と呼ばれるなにかしらがあるとして、わたしはそれのムラが激しい。やる気のムラというよりは、何に意欲があるかの「対象」のムラ。けれど、仕事までそれじゃあよくないだろう。と思って、いままでいろいろなことを試して対策を探してきた。
たとえば、実際に作業するのは10時から16時とかにして、あとは仕事と趣味の間ぐらいの、何か楽しめることをしてみるとか。「ポモドーロ・テクニック」っていう、25分作業して5分休憩のリズムを試してみたりとか。たぶんもう忘れているような他の「こうしたらどうだろう」をたくさん試してきたけれど、結局自然に取り入れているぐらいになっているものは今に至るまで見つかっていない。
今の仕事への意欲は先週あたりから始まっていて、金曜の21時半とかまで仕事のチャットで話し合っていたものだから、土曜日の朝は本当に仕事してやろうかと思った。
けれど、休日は平日と違うことをしてこそ頭と心、そして身体が休まるような気がするから、「仕事をしない」をやった。結果、昨日も書いたけれど、特にやりたいこともない、暑すぎるから外にも出たくない、掃除や片付けという気分でもない、なんともまあ自堕落な状態で2日間を過ごしてしまった。
わたしは昔から暑いのが本当に苦手で寒い方がマシ派閥だ。暑いと何もできないのはもう、どうにもならない。たぶん。ちなみに冬生まれである。
もしかしたら土日は仕事のことをしてしまった方がよかったのか?とか、そんなことを考えているうちに、これはもう、前提から違うのかもしれないとふと思った。
今まで、わたしが自分に合った対策を探していたのは、時間割に自分を合わせるためだった。
わたしは会社員で、わたしの生きる社会には時間割が存在する。何時に始業して、何時に終業。何曜日から何曜日まで。この日は休み。その中で生きる以上、最大限自分をそれに沿わせていかなければならない。
けれど。もうね、たぶん無理なのだ。わたしには。
作業時間を自主的にコアタイムみたいにして、ここの時間帯はなにがなんでも集中するぞ!と心で叫んでみても、脳や身体が従うとは限らなかった。いや、もしかしたら逆かもしれない。頭で思ってみても、心が従うとは限らなかった、のか。
ただその、できないからやらなくなってしまうときの「できない」っていうのは、決めた時間帯ですら仕事のトピックに関して注意力散漫になってしまうときばかりではない。逆に、そんな時間の縛りが鬱陶しくなるぐらいやりすぎる、やりたいと思いすぎる、集中しすぎるときのどちらもあって、どちらかというとそういう意図的な対策をやらなくなってしまうのはこのモードに入ったときの方が多い気がする。
なんともまあ、クセの強い筐体なのだ。
もう、こういうタイプの人間は、「今の自分」がいちばん意欲を持つことに対して正直に情熱を燃やした方がいいんじゃないだろうか。そして、仕事に関するトピックのことを「仕事」とするのではなくて、自分が情熱を注ぐひとつのテーマであると考えたほうが性に合っているんじゃないだろうか。という、まだ仮説。
平日だろうと休日だろうと、あまり関係ない。
仕事に関するトピックにいちばん意欲があるのならそれを追究するし、他のトピックに意欲があるのならそれを追求する。それが出勤中なら、なるべく「それ」と仕事との公約数を探り当てる。
そしてなにより、これはわたしが勝手極まりない考えで生きると宣言しているということだというのを忘れてはいけないのだ。きっとみんなちゃんと仕事の時間と自分の時間を区切って生きているし、少なくとも会社においてはそれが望ましいことだ。
だからわたしが試そうとしているのは、それができないから歩む道なのであって、明確に邪道であって、恥ずべきことであって、隠すべきことだ。
わたしは結構こうやって、自分に「これは恥ずべきことだ」を言い聞かせて生きていて、わりとそんな自分の在り方が好きだったりする。