nikki-005
『イシナガキクエを探しています』を見た。
わたしはフェイクドキュメンタリー系のホラーが大好きでワクワクするのだけれど、その魅力ってなんなんだろうと考えてみてもなかなかうまく言葉にできない。
昔から心霊番組とかオカルト特集みたいなのが好きで、テレビでやるたびにビクビクしながら見ていたものだ。
今でもいちばん覚えているのが、USOジャパンという番組でやっていた話。ある女の子が最近視線を感じたりする、何か変だから泊まりに来てくれと友達に頼むのだけれど、実は女の子の部屋のベッドの下の空間に(たしか刃物を持った)男が潜んでいて、ベッドの隣に敷いた客用布団で寝ていた女の子と目が合うというシーン。
あれがもう、めちゃくちゃ怖かった。当時は布団で寝ていたけれど、ベッドってこわい。としばらく思っていたものだ。
今となってはフィクションとして処理できるけれど、子供の頃は本気で怖がるでしょう。
それって、嘘か本当かの「判断がつかない」んじゃなくて、嘘か本当かとかいう「概念が薄い」、みたいな感じがする。嘘か本当か、よりも先に、怖いとか、不気味だとか、そういうものが来ていて、それを楽しんでいたんじゃないか。
もう少し大きくなると、今度は「やらせ」っていう概念を覚えた。あと、「フォトショで加工した」とかね。
なにより、自分がそのぐらいの年齢のときのネットやSNSの発達は著しかった。そうなってくるともう、テレビでやっている「それ系」の番組なんか楽しめなくなってしまったし、番組自体もどんどん減ってしまった。そのあたりからはもう、ホラーの主戦場はテレビではなくネット、特に「洒落怖」に移っていったのかもしれない。
けど、最近になってフェイクドキュメンタリー系のホラーが流行って、また「テレビ風」のホラーが人気なのは、どういうことだろう。すごい。
「嘘か本当か」という判断を留保しておくことができるというのが、フェイクドキュメンタリーへのワクワク感に貢献しているんじゃないかと思う。
元々、嘘か本当かというのは大事な議論ではなかったんだ。嘘をついているとか、間違った情報を流しているとか、やらせとか、そういうことに敏感になりすぎたわたしたちにとって、「この番組はフィクションです」というテロップが、やけにリアルで意味のわからない不気味さを全力で楽しんでいい「言い訳」みたいな役割をしてくれている気がする。
つくりものだということを前提とした上で、みんなが世界観に入り込んで楽しんでいる。
そんななかで「こんなのつくりものじゃん」なんて言う人は「野暮な人」なのだ。これはすごいシステムだ。あのワクワクしていた子供の頃の、嘘か本当かとかいう概念が薄かった状況を作り出してくれているのかもしれない。
そこまで考えて、なんだかこれってディズニーランドとか、Vtuberとかにも言える話かもしれないなあと思った。
コンテンツの裏側とか事情とか、そういうことがなんでもわかる(気がする)ようになったら、「わかっていて楽しむ」ものを作ってしまうんですねー。